SYSTEMDARKCROW
TRPGリプレイ、創作小説のサイトにして、ARMORED COREオフィシャルサポーターNO.22。管理人:闇鴉慎。ご連絡はブログのコメントまで。
1:
狙いは額、ただ一つだ。
先に駆け出した京を撃たせず、且つ、走りこむ隙を作る。
だが、岸武はコンマ数秒の差で足を折り曲げ、弾丸は遠く見える机の残骸に突き刺さった。
「!!」
京二の知覚よりも一瞬早く、バネを解放する。
残像すら伴うようなありえない速度での踏み込み。実際は錯覚なのだが、京二には岸武が消えたように見えた。
そして、視覚と触覚がそれを伝えた時には既に、京二の鳩尾は硬い肘に押し潰されていた。
「……あ、はっ」
力を抜いてなんとか衝撃を殺し、壁を蹴って跳ぶ。
岸武は、後頭部を狙って放たれた京の弾丸を低い姿勢のまま躱す。京が構えたところを見てすらいない筈だ。
そこから踊るようにして立ち上がり、2丁のクーガーが次々に弾丸を吐き出した。
2人の位置は知覚出来るギリギリの範囲、それも少しでも注視してしまえば見えなくなる位置取りだ。
だが、その狙いはまるで、左右の目と腕が各個に連動しているかの様に正確だった。
動きは見える。だが、反応が出来ない。
京は咄嗟に構えた左腕に激痛が走るのを感じ――次の瞬間折り重なって倒れている衝立を押し飛ばしながら吹き飛ばされた。
掠めた弾丸に頬を切り裂かれながら、京二は頑丈そうなデスクの影へと飛びこむ。
――くそ!
狙いは首だ。2連射(ダブルタップ)で集中的に狙う。
相手は只管に最小限の動きしかしていない。
4発の弾丸も、まるでボクシングか何かを楽しむように掻い潜って避けられてしまう。
位置を変え、京との挟撃に持っていく為に駆け出す。
低い姿勢を保ったまま、脚に力を込める。
「――っ?!」
僅か、ほんの僅か、机から身を出したその位置で、京二は吹き飛ばされた。壁に頭を打ちつけたところで転がった事に気付く。
反射的に起き上がろうとするが脇腹に力が入らない。肋骨が折れた。
防弾衣は着けていたが、岸武のもつ拳銃は通常の9ミリではない。恐らくは、マグナム弾と同等の力をもつ大口径仕様だ。
弾は止められても衝撃までは殺せない。なければ先ず完全な行動不能になっていただろうが。
痛みこそまだ来ないが、いずれ身をよじる激痛が襲ってくる事に違いはない。
だが、それより更に問題なのは、何を喰らったのかさえ知覚する暇が無かった事だ。
「京二!」
叫びながら撃つ。
だが、まるで犬か猫を追い散らすかのような無造作ぶりで、岸武は顔すら向けず必中弾を放った。
弾丸が自分に吸い込まれるのが見える。左肩が骨ごと砕かれる感触。
背中から脳髄へと駆け上がるその感触を受けながら、京は再びガレキの中へと倒れ込んだ。
「……引っ込んでいろ」
丁度、弾丸が切れた2丁の弾倉を捨てながら、岸武はそう呟いた。
銃を握ったままジャケットの裏から弾倉を宙に放ると、そのまま本体を一回転させながら2丁同時に再装填をかける。
何気ない所作だが、恐ろしく精密な動作と反射神経・動体視力が必要とされることは一目瞭然だ。
ガレキの間で頭を垂れる京と、無様に転がる京二を見遣りながら、岸武は2本目の煙草に火を点けた。
「どうした? 肋骨が折れた程度で」
京二は荒い息で答えるしかない。だが、これはチャンスだ。
膝立ちで、痛みを出来るだけ遅らせる為に必要最小限の呼吸で抑える。
岸武はふと口元を歪ませた。覇気の無い京二を笑っているのだ。
そして、呟くような口調で言う。
「そうだな……あの時、礼二(オヤジ)を撃ち抜いたのが――俺だと言ったら」
「――なんだと?」
「やる気が出るか?」
くく、と笑い零す。
もう1口分だけ火口を赤く染めて、吸い柄を踏み消す。
それは小さく小さく床に焦げ目をつくり、バラバラに葉を撒き散らされて消えた。
徐に俯いて銃を持ち直すと、岸武は小さく口を開いた。
「お前がオヤジを慕っていたように、俺にも自由に慕う権利があったはずだ」
「――?」
あまりにも唐突過ぎて、京二は何を言っているのか理解できなかった。
数瞬の間が流れてやっと租借の動きが始まる。
が、半分も思考が進まぬうちに男は再び口を開いた。
寡黙と見える男にしては随分間の取りが短い。
「誰にでもあることだ」
独白のようなそれ。京二は何時の間にか聞き入ろうとしている自分に気付いた。
何かの誘いか或いは。そう思っていた筈なのに。
「……恐らくは、今以上人間を愛する事などあるまい」
「どういうことだ?」
返答は無い。
無言のまま弾倉を装填されたまま止まっていたスライドを戻す。
しゃきん、と固い音が鼓膜を揺らした。
「……全ては手の内にある。お前が理解するまでに、そう時は掛るまい」
意味は全く分からない。
だが先刻(さっき)、目の前の男を敵と感じた様に、感覚のどこかが叫んでいる。
この男は何か、何か重要な事を言っている。
――ふと気付くと、視線の端に映る京の指が微かに動きを取り戻すのが見えた。
瞬間、意識が引き戻される。そうだ、これは勝機だ。
悟られぬようゆっくりと手を伸ばし始める。狙いは倒れていた先客の持つ短機関銃だ。
「だがな、ただ通り過ぎられる――それを許すことはできない」
「一体何を言っ――」
「――黙れ」
静かだが、それは強く空間に響き渡った。
指はあと数センチで短機関銃を拾い上げる。もう少し気をそらしておかなければ――
――なんだ?
そこで京二は気付いた。俯いたその姿勢から静かに注がれる眼差しに。
だが、その先にあるのは京二ではない。
辿った先にあったそれは、いまだ朦朧とする意識を取り戻そうと藻掻く、京の姿であった。
梨地に成型された樹脂の感触が指先を擽り、やがてグリップが左手に収まった。
セレクターを兼ねた安全装置は解除状態・発射可能位置にある。
「……精々、生き延びろ」
そう言うと彼は静かに脚に力を込め始めた。
――言われなくともそうさせて貰う。
眼で答えた京二は一瞬で体制を整えると、引金に指を掛けた。
弾倉内に残った10数発の弾丸が空気を切り裂き、岸武の頭をめがけ飛んで行く。
不意に影が揺らいだ。弾丸は当たっていない。
残弾切れでボルトが止まる。かちり、とした硬い感触が手に伝わる。
そのまま本体を投げつけ、京二は次の隊員の元へと走った。
先刻彼を吹き飛ばした弾丸が背中を掠めて行くのが分かる。
撃たれた脇腹は既に痛みを伝えだしていた。次を当てられれば恐らくは動けなくなる。
そう思った矢先だ。
「――なに?!」
不意に、視界の隅に映る岸武の動きが一瞬びくり、として止まった。
京が意識を取り戻し、飛び掛ったのだ。
一瞬の隙さえ作れればいい。僅かに力の抜けた腰を抱き止め、京二に向いていた拳銃を逸らす。
投げ出したコマンダーが床を滑る――と、それは京二が走り込んだ先で見事にその左手に収まった。
「くそ!」
身を左右に捩る。想像以上の強い力だった。
驚きつつも岸武は腰に回された白い腕を掴んで一気に振り解く。
「邪魔を、するなぁっ!」
自由になった両腕を振り上げ、刹那に狙いをつける。
だが――
「……ち」
遅かった。
彼の目に映ったのは、2発。
自らの額に噛みつかんと飛ぶ、11.43ミリ・ホロゥポイント弾であった。
虚空に咲く赤い華。
人の血飛沫がこれほどまでに美しく感じた瞬間は無い。そんな光景。
ゆっくりとした時の流れの中で、京は上目にその様を見ながら、そう思った。
岸武の背後にあったガラスが砕け散る音と共に時が戻る。
後頭部を強かに打ちつけ、ずるずると崩れ落ちるように岸武は床にへたり込んだ。
「……終わったか?」
注意深く銃口を向けたまま、京二は京にそう呼びかけた。
息を確認しようと覗き込む。
額を貫かれたのだ。不死者といえど脳を破壊されれば、施設なしに再生は叶わない。
だが、
「――!!」
不意に繰り出された裏拳が頬を掠めて壁を砕く。
当然、拳もただではすまない。骨が砕けて肉を裂いて飛び出す。
京二は反射的にトリガーを引くが、構わず背中のバネを使って飛び起き、そのまま横っ飛びに弾丸を躱す。
改めて、尋常ではない。
額から瞼に掛る血糊を乱雑に拭い飛ばすと一息に跳躍し、岸武は京二に掴み掛った。
「く!」
捕まれた手首から血が回らなくなる感触。
京二の痛覚や耐久能力は人間と変わらない。
「――っああ!」
万力のような加減の無い圧力に骨が砕かれていく。
蹴りを出そうにも後に押されながらの体勢では到底通じる威力の物が出せるとも思えない。
罅はすでに入っているだろう。あと少し岸辺が力を込めれば完全に骨が砕ける。
いちかばちか――股間目掛けての蹴りを放とうと、体重を掛けなおし――
――手首は唐突に離された。
ゆっくりと後ずさる岸武。
「……?」
徐に見えたのは背中越しに見える京の赤い髪であった。
ゆっくりと、今度こそ崩れ落ちる。予備に、と買っておいたコンバットナイフが背中から肺を貫いたのだ。
荒い息遣いを抑えながら、落とした拳銃を拾う。と、激痛が走る。
罅程度ならば回復にもそう掛らないが、まともに撃つ事は暫く出来ないだろう。
「大丈夫?」
伏目がちに聞く京に京二は微かに肯いて応えた。
頭脳が何か、何かを考えようと必死に回転しているのが分かる。
虚しくもそれは空回りするばかりで、何も引きずり出せずにいるが。
ナイフを抜き取り、その場に放り投げる京を見ながら、京二は静かに撃鉄を戻した。
何かを、訊かなければならない。いや、ならなかった(・・・・・・)。
――こいつに。
岸武からふと視線を移動させると、隣には心配そうに覗き込む京がいる。
それでも、京二は動く気にならなかった。
――傍にいるだけでよかった筈なのに。
思わず浮かんだその言葉――だが、恐らくはこれこそが真意・本音なのだ。
人は欲深く、手に入れれば更にその上が「欲しくなる」と、嘗て学んだ。
だが、頭脳での理解は心による理解とも、その物事を実際に経験する事とも違う。
先の岸武の目、あれは完全に彼女を“知っている”目だ。
理由などない。ただ、彼がそう思っただけに過ぎないかも知れない。
だが、胸の奥には確実に何かわだかまりのようなものが渦巻いていて、
「……くそ」
京二はそう吐き捨てた。
足許をすくわれるような感覚に、彼は思わず目を閉じた。
2:
「時よ止まれ。今この時、2人の為だけに」
暗く白い一人ぼっちの要塞で、敷島洋介はただポツリとそう呟いた。
ライブで映像を掴めるカメラはほぼ残っておらず、残った回線は僅かに1本。
侵攻部隊(黒尽くめ)の大半こそ岸武と京二たちが排撃したものの、電子的な侵攻はいまだ止む事を知らず、卓上の端末に五月蝿いほどのアラームを奏でさせている。
重要資料のプロテクトが解かれるのも最早時間の問題だろう。
あの技術に関する事のほぼ全てが目の前で蹂躙され、奪われていく。心穏やかには行かぬはずの風景。
だが、敷島は今ここに至って酷く穏やかな気分であった。
波に揺らいでいた海がやがて凪を取り戻すように、風が無くなれば心もまた平坦に戻る。
彼は白衣を脱ぎ捨て、窓の外を眺めた。
未だその身から立ち上る黒煙は止まず、あたかも敗北の2文字の為の狼煙であるかのように立ち昇りつづけている。
事実、敗北である。しかし、勝利でもある。
胸を逸らし、ベストのポケットに手を突っ込んで敷島は唇を歪めた。
「……願い叶わずとも時は……」
唄のようなそれは、衝撃も振動も止んだこの空間にただ流れ融け消えてゆく。
聞き取れるかどうかぎりぎりの音量で流れていたそれは、彼が再び机の前に立った所で途絶えた。
簡素な鍵――実用上は飾りのようなもの――がつけられた一番上の引出しに手を掛ける。
すらり、と開かれたそれの一番手前には、あの三日月(Hsc)が蒼く黒く佇んでいた。
「…………」
かちり、とした動きで初弾を薬室に送り込む。
三角形をしたトリガー・ガードが差し込む日を受けて茶色く笑って見せた。
そのまま、目を瞑る。
腕を下げてまるで黙祷でもするかのように。
微かに鼓膜を揺らすのはリノリウムの床に響く硬い足音。ふたつだ。
彼はゆっくりと目を開けると、静かに要塞の入り口――マホガニーの扉にその銃口を向けた。
ステンレスの冷たい感触が指に伝わってくる。
氷とも刃とも違うその冷たさは、敷島の精神をより平らな凪へと導いていく。
やがて足音は彼の想像と同じくその扉の前で途絶えた。
微かに目を細める。人差し指に僅かに力を入れると、シアーに掛るのが分かる。
金と言うよりも白に近いところまで染められて尚、さらりとした髪がぴり、とした空気に揺れる。
ゆっくりとノブが回り――
「!!」
現れたのはあの2人ではなかった。
黒尽くめの――組織の外郭であった筈の企業、その株主達が送り込んだ猟犬。その生き残り達。
敷島の射線から外れるや否や彼らは怒号を響かせた。
「凍れ!(フリーズ) 銃を捨てろ!」
「跪け!」
やれやれ、と敷島は肩を竦めてトリガーガードを人差し指に引っ掛けると、そのまま両手を挙げた。
じわり、と黒が短機関銃を構えたまま彼を挟むように移動していく。
短機銃の安全装置は解除されたままだ。
僅かにでも怪しい素振りを見せた瞬間、ただの人間である彼は襤褸屑になり果てるだろう。
だが、彼は余裕の笑みのまま人差し指のモーゼルをぶらぶらと玩んでいる。
「聞こえなかったのか? 銃を捨てろ(・・・)」
「お前の命は現段階では保証されている」
――現段階では、ね。
つくづく、こいつらはプロではない、と思った。
そこそこ訓練をされているのだろうが、そんな事は問題にはならない。
本当に問題になるのは、京二や京――あの2人のように、ただ目的のために我武者羅(がむしゃら)に邁進できるその力だ。
目的のために全てを投げ打てぬ兵など、何時まで経っても半人前以下だ。
黒尽くめは室内戦における装備はほぼ全備している。
ヘッドセットに阻まれるその微弱な波を敷島は確実に捉えていた。
押し殺された足音――ふたつ。
「聞こえないのか!」
とうとう1人が業を煮やし、強引に掴みかかる――タイミングはまさにそこにあった。
――炸裂音
「――?」
黒尽くめの1人は、首を傾げた。
突如として目の前から消えてしまった自らの親指を不思議そうに眺める。
次の瞬間には露出部の頬に風穴が開き、男は卒倒した。
「貴っ……!」
振り返り様に彼が見た光景は、エンジニアブーツの硬い底が迫ってくる光景――。
何時の間にか現れたジーンズの裾と硬質ゴムの靴底。
渾身の蹴りのから受け継いだ勢いそのままに壁に衝突し、倒れたその場で2発を頭に叩き込まれて、男は瞬く間に骸と化した。
男の血に塗れたブーツもそのままに、窓際へと歩み寄る。
敷島は徐に銃を構えなおした。
そして、
「……お久し振り、でもないですかね」
そう言って、目の前に立つ隻眼の男と獅子髪の女に笑みかけた。
男は喋らない。
女はじっと時を見ている。
そうだろう。そうだろうさ。それしか出来まい。
敷島は満足したように頷き、銃を降ろす。
古い45口径を構えたままだった男――京二は、流れ消えてゆく戦場の空気を感じ取ると、敷島に倣った。
色濃いデニムに45のクリップを挟み、向き直る。
女――京は間隙(すき)なく構えたままだったが、京二を見て僅かに警戒だけは解いたようだった。
口を噤んだまま少し後へと身を引く。
「……さて、何から話しましょうか」
「今更話すことが?」
にや、として敷島は肯いた。その表情にあのいやらしさはない。
訝しげに見つめながらも京二も目で話を促す。
フッと表情を戻し、敷島は再び口を開いた。
「今だからこそ、の話ですよ。四方津君」
ひっくり返されていた椅子を元の位置に戻しながら言うそれは、何処か疲れが滲んだ声色だった。
薄くクマの浮いたその顔に以前の自信に満ちたあの敷島の面影は薄い。
椅子に腰掛け、大きく溜息をつくと、彼は手に持っていた三日月をごと、と机に戻した。
「……この拳銃が何故ここに有るのか――そういう疑問は浮かばない物ですかね?」
「喋るといったのはあんただからだ」
「なるほど」
そう言って肩を竦めると、敷島は端末のとある画面を呼び出した。
そして、くるりと向きを変えると京二に差し出す。
「――?」
画面に映しだされているのは、指令書とその案件に対する報告書の数々だ。
顎の前で両手を組み合わせて敷島は口元を隠した。
「今のこの状況が、どうして起こったか――分かりますか?」
「……神暮、か」
敷島は微かに肯く。
京二は黙って顎を上げて続きを促した。予想していた通りだろうと、そう思ったからだ。
あの時神暮は「やらなければならないことがある」と言った。自分の寿命が残り少ないという事も。
一矢報いるべく行動していたのは京二も同じ事だ。ならば「やらなければいけないこと」など一つしかない。
だからその結果、代償に命を捧げることになったのだろう、と。
形見が敷島の手にある事は確かに納得いかないことではあったが、大事なところはそこではない。
先から京二を支配するのは妙な安定感と、何処からか湧き上がる違和感だ。その答えは未だ姿を現していない。見えない。
ふむ、と息をつくと敷島は再び立ち上がった。
そのまま窓際へと進み、下界を見下ろす。そして、唐突に言った。
「では、3年前のあの日を憶えていますか?」
「…………」
「私はあの時“君は絶対に感謝する事になる”と、そう言いました。どうです? 今の気分は」
京二の表情からは何の反応も見出せない。
怒りも哀しみも、最も根強い筈の憎しみさえも。
――ほう。
敷島は僅かに感心する。
ただ暴走するだけでは確かにここまで昇っては来られなかっただろう。物理的にも、精神的にも、だ。
そしてそれは1人だけでは成し遂げられなかったに違いない。
飽くまで平坦な声で敷島は言う。
「……なるほど、あの日君が言った事は正しかった……というよりも“全ては君の思惑通り”ということかな?」
「何を言っている?」
言ってから京二ははっとした。
先の感触――そう、岸武から受けたあの違和感がそこにあったのだ。
敷島は微かに目を細め、次の言葉を紡ごうとしている。
心よりも先に身体が動く。
「!!」
どう、という音を立て、敷島は絨毯の上に倒れ込んだ。
右の拳が血に塗れている。ぼたぼたとだらしなく鼻血を零しながら敷島はうめいた。
茫然としたような、何かが抜け落ちた表情で京二は静かにそれを見下ろしている。
一頻り悶えて取り敢えず気を持ち直したのか、敷島はゆっくりと立ち上がるとワイシャツの袖で乱暴に口元を拭った。
血の混じった唾を吐き捨てて京二に向き直る。
まだ痺れの残る唇を少し歪ませて、彼はこう続けた。
「……何を言っている? その答えを持つのは私じゃぁない」
「……そうだな」
先からどうにも回りの鈍い頭は、ここにきてやっと答えを導き出しつつあった。
現実に後押しされてやっと見えたその答えをしっかりと噛み締める。
静かに京二は目を瞑る。
そして、名前を呼ぶ。
「……京」
冷たい感触を後頭部に受けながら。
3:
伝わるのは、微かな吐息と高鳴らない鼓動、だった。
静かに、ただ静かに。それこそ凪の海の様に獅子髪の女は銃を湛えている。
真紅の瞳を隠すレンズは途中で落としてしまった。
固まる前の血のような赤。そこに少しだけ憂いの色を込めてそれは見つめている。
灰色がかった京二の頭を、じっと。
敷島はこの空間を――自らだけが取り残されている事を認識しながら――それでも事の成り行きを全て見届けようとするかの様に。
長い長い沈黙があって、それからようやっと京は口を開いた。
「いっそ、撃ち返して」
呟くようなそれは、自分でも身勝手を言っていることは理解っている、と、そんな口振りだった。
全てを招いたのはこの私だ、とも。
やがて、彼女は京二にその気がないことを知ると、ゆっくりとその銃口を下げた。
敷島の目が一瞬鋭さを増した事に彼女は気付かない。向き合ったまま京二が敷島を目で制す。
「ふぅ……やれやれ」
そう言って敷島は椅子にもたれかかった。
そして、一枚のディスクを端末に噛ませ、先とは別の何かを画面に呼び出した。
「今更、ですがね。そう、あの日、君と亡き神暮氏の居場所を通報したのは他でもない――四御神 京」
どうぞ、と画面を返して京二へと向ける。
そこに映っているのは言葉の通り、敷島と会談する京その人であった。
「君の安全と引き換えに彼女は自らと……君を差し出した。そして今、君は壮大な実験を成功させて――“先”へと延びる一つの形として今ここに存在している」
「…………」
「能力も何もかもがあの岸武君に及ばぬにも関わらず、ね」
京二は動かない。拳を握り続けるだけだ。
ただ、敷島の言うことが事実だという事は想像に難くなかった。
京が一時とは言え彼に銃を突きつけたのは変わらぬ事実だ。何らかの形で京が敷島と取引を行ったのは事実なのだろう。
なにより、ここで嘘をついたところで彼に利があるとも思えない。
全てが計略通りなのか――そんな事は確かめる術もなければ興味もなかった。ただ、
「一つだけ聞きたい」
僅かに自嘲の色を笑みに滲ませながら、京二は言う。
実際、今更馬鹿らしい事だ、と彼は思っていた。
ゆっくりと、絞るように呟く。
後に立つ紅の女に。
「……何故?」
そう一言だけ。
女は答えない。
敷島は呆れた、と言わんばかりの表情で口を開く――
――瞬間、京二は腰に止めておいた.45を抜き、放った。
鼻を突く火薬の臭いが、時の流れを正常に戻す。
未だ微かに漂う硝煙の向こうで端末は砕け散り、そのさらに向こうに、撃ち抜かれた肩を抑える敷島の姿があった。
「何を……!」
絞り出すような声に、京二は飽くまで平らな声で応えた。
「お前に訊いていない」
スライド・ストップ(弾切れ)。
残弾の切れた弾倉を放り捨ててポーチから予備を抜き、差し込む。
流れるようにこなすと京二は後に向き直った。
そして微かに笑い、こう言った。
「……すまない」
突然のそれに茫然としたまま、京は抱き締められ――倒れた。
ゆっくりと床に崩れ落ち、次弾を喰らって動かなくなる。じわり、と赤が、限りなく黒に近い赤が床を侵食して行く。
同じ色に染まった右手もそのままに、京二は敷島へとその虚を向けた。
「結局、俺には……“復讐”をする権利すらなかったわけだ」
痛みに汗を滲ませながら、血の気の引いた白い顔で尚、敷島は嗤う。
誰にだってそんなものはない、と。
「なら、お前はどうすればよかったと思う?」
「さてね……私にはとんと」
「そうか」
言うや否や京二は銃を投げ捨て、拳を叩きつけた。
無造作に繰り出されたそれは正確に敷島の顎を打ち抜き、彼を絨毯に転がす。
「――!!」
再び鮮血が迸り――白かった絨毯は最早見る影もなく、まだら模様を晒している。
もがく敷島は痛みに涙が止まらない様子だった。
四つん這いすら出来ずだらしなく転がる彼に、京二は机の上にあった三日月を投げ渡した。
目の前に落ちてきたそれを見つめながら敷島は目で返す。
――何を?
京二はただ微かに唇を吊り上げるだけだ。
投げ捨てた45口径を拾って、安全装置を解除する。
そして、徐に口を開く。
「……俺はただ」
独白のように、呟くように言いながら彼は静かに眼帯を投げ捨てた。
左眼を縦に割る――3年前の傷から、じわり、と赤が滲み出る。
「ただ、生きていたかっただけだ。あいつと、あいつらと一緒に」
そうだ。そうだった筈だ。
あの日々を奪われた――その復讐の為だけにここまで来た。その筈なのに。
何時の間にか、憎しみは消え失せていて。心にあった虚は埋められようとしていて。
それでも、仕方ないなんて思いたくなかった。振り上げた拳は振り下ろす以外にない。
それが、それだけが俺の生き方だったから。
徐にその太腿を撃ち抜く。
「――っああ!」
ホロゥ・ポイントは肉を裂き、骨を砕き、痛みを与え続ける。
「……な、にを……!」
「だから、奪われた物を取り返しに来た」
ゆっくりと11.43ミリメートルの虚が、敷島の眉間に向く。
転がっているモーゼルに、咄嗟に手を伸ばす。
遠い。僅かな距離が無限にも感じる。
――クソ!
「何もないお前から奪うのは」
人差し指が掛る。
中指が掛り、拾い上げ――
「命だけだ」
京二はそのまま引金を引いた。
薄っすらと視界が戻る。
焦点を合わせようとすると世界が揺らぎ――吐きそうになる。まだ血が足りないのだろう。
零れた自らの赤い髪を人差し指で払いながら、戻りつつある体の感覚を確かめる。
撃たれたのは2発。
1発は肝臓に。もう1発は背骨。
幾ら再生が利くとはいえ、急所に当てられれば意識は失うし、痛みとて感じる。
既に肝臓は違和感が消えているが、まだ下半身の感覚は完全に戻っていない。
「…………」
京二は――
その考えが浮かんだ瞬間、彼女は飛び起きた。
視界が一瞬ブラックアウトしそうになり、思わず机に寄りかかる。
「――っう……!」
瞬間、目に入ったのは、後頭部が砕け散った敷島の死体であった。
それと――暴発でもしたのだろうか――右手と一緒にスライドが吹き飛んだモーゼル・Hsc。
ゆっくりと、そのまま部屋を見渡す。
京二の姿は何処にもなかった。
ただ、部屋の外へと繋がる血で描かれた点線が1本、そこにあるだけだった。
――コレはきっと、チャンスなんだ。
敷島の研究と彼が置かれている状況を知ったあの時、彼女はそう思った。
想い人と永久に――恋愛の最中ならば、誰もが一度は願うかも知れない。
代償は自らの身体を実験材料(モルモット)として差し出すこと。
彼女にとってはこの上なく安い対価――代償とすら思えない――その筈であった。
筈、でしかなかった。
京二は記憶を失い――憎しみだけに突き動かされ、嘗ての仲間達を葬った。
結果彼女は3年の間、彼と引き離され――
――ただ、好きというだけでいられたなら。
屋上へと続く階段。
どんどんと幅が広がっていった血痕は、そこでぴたりと途絶えていた。
荒い息を意図して抑えながら、彼女は一気に駆け上がっていった。
嫌な予感が拭えない。
何故いまこの時に屋上へ? その答えは一つしかないのではないか?
――京二……!
やがて、外へと出る扉へと辿り付く。
漏れ出でる光があたかも天国の扉のようで――。
ドアノブを回す時間も惜しいとばかりに手の中の銃を放つ。
ダブルタップでノブを吹き飛ばすと、彼女は目一杯扉を蹴飛ばした。
降りかかる白い光に、一瞬目を覆う。
と、同時に柵の向こう側に立つ、一つの影を視界の端が捉えた。
「京二!!」
京は持ちうる限りの声で叫んだ。
スローモーションのようだった。
だらりと下げていた腕が残像を伴うようにゆっくりと上がり、彼は少し笑った。
苦笑のように、憐れむように、嘲笑うように、草臥れた鋼鉄色をこめかみにあてがい――
一発の銃声が空に轟いた。
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