SYSTEMDARKCROW
TRPGリプレイ、創作小説のサイトにして、ARMORED COREオフィシャルサポーターNO.22。管理人:闇鴉慎。ご連絡はブログのコメントまで。
1:
暗い部屋だ。黒衣の男――岸武嘉秀(きしべ よしひで)はここに入る度にそう思っていた。
壁紙やインテリアは明るめのモノトーンで統一されているくせに、妙に暗く感じる。別に光が入らないというわけでもない。
窓際に揺れるレースのカーテンは陽光を受けて、白く輝いている。
アルミニウムのデスクも、何もかも、全て病院のような清潔さを保っているというのに。
“名が体を表す”ように“部屋は主を表す”――などと言った奴がいたな。そんな事を彼は思い出した。
「おはよう御座います」
彼の正面に座る敷島は何処がしか覇気の無い声でそう言った。
無理も無い。この数日は食事も睡眠も満足に取れていないだろう。加えて、敷島は未だ“人間”のままだ。彼や京二のようにはいかない。
事は数日前に遡(さかのぼ)る。
神暮暗殺が実行された夜だった。ふとした拍子に漏れた情報は組織内を駆け巡り、代表暗殺は瞬く間に殆どの上級構成員の知るところとなった。
こうなれば旧来から神暮派として組織に存在した幹部は黙っていない。つまり、彼らは仇討ちを建前に一斉に敷島へと牙を剥いたのだ。
“お次はどうする”という言葉をそのまま返されたようなものだ。2人は見事に組織内で取り残された。
外を歩けば鉢植えが降り、食事に銀の箸を入れれば刹那に黒く変色する。
車に乗れば爆弾が仕掛けられていて――自慢のロールス・ロイスは跡形もなく吹き飛んだ――電車に乗れば時刻表示の電光掲示板が吹き飛ぶ。
敷島は研究者であれ、軍人でもなければ彼のような戦士でもない。こういった事態に耐性があるとは到底思えなかった。
さらに言えば、元々表舞台に立つのが向いている訳でもなく――だからこそ、あのような状態の神暮を生かしておいたのだ。
一部官僚へと通じるパイプは絶たれ、幹部は皆とは言わずとも徐々に神暮へと寝返りつつあった。
研究所は全ての業務が止まり、今や通信手段も徐々に奪われつつある。
物理封鎖が2本に加え、電子的封鎖・妨害電波による封鎖が4本。残存回線は僅かに2本。それも一般電話回線だけだ。
言うまでも無く、彼らは敷島を死の境地まで追い詰めるつもりなのだ。最早彼に出来る事はこの自室に閉じ篭ることしか無いと言っていい。
手元の端末を操作しながら敷島は初めて岸武の顔を見て言う。
「情けない限りで」
「……まったくだな」
軽い侮蔑の視線を送ってやる。当然だし、ざまぁないな、という感情の他には何も無かった。
「同情はされないので?」
「……犬に食わせちまったもんでな。煙草を一本貰おう」
デスクの隅に置かれた木箱からシガーを取り出し、端を切り飛ばして火を点ける。と、ふわりと甘い香りが部屋を包み込んだ。
――彼は父親である礼二の思想に反発して敷島の側にいる。だがそれは、より面白い境地にたどり着ける――そう思ったからにすぎない。
敷島もまたそれを理解し、また彼の行き着く先に興味を持っていたからこそ彼には目をかけていたのだ。
そこには極めてビジネスライクな取引が存在している。感情を挟む事はお互いにない。
突然、敷島はくつくつと笑い零し始めた。やがてそれは段々と大きさを増していき、哄笑となる。
気でも違ったか、と顔を上げるがそうではないようだった。
飽くまで冷徹な理性の光を湛えたまま、敷島は笑う。
「……何が可笑しい?」
興味なさげに訊く岸武に、笑いがようやっと収まりつつあった敷島は、端末の画面を摘んで岸武の方へと向けた。
ムービープレイヤーで再生されているその映像は1時間ほど前の防犯カメラのものだ。
長身を折り曲げながら覗き込むと、赤い髪の女と灰色がかった茶髪の男が見える。
京二と京――あの2人組であった。
どうやら足を調達しているらしい。近付いた持ち主と私服警官らしき男の頭が吹き飛ぶ様子がはっきりと映っている。
一見、短絡的な窃盗殺人に見えるがただそれだけでは無い。そう岸武は感じとった。
仮にもこの組織で暗殺者を務めた彼が、全国指名手配を受けた上で変装一つせず白昼堂々と拳銃を放つ。
もしもまだ彼らの目的が“ここに座る男”であるのならば、そこに見えるのは覚悟だ。
『死』か、あるいは。
「……なるほどな」
「嬉しいことじゃぁないですか。今ここで朽ち果てようとしているこの私に、あなたに! わざわざ会いに来てくれる……」
「……生憎だな。悪いがあんたと心中する気は無い」
見捨てるという意味の筈のそれにも敷島は笑って沈黙するだけだ。理由はただ一つ。
――納得しているからだ。岸武が何を思いこれから何をするのか……それが分かっているからだ。
岸武は徐に立ち上がると革ジャケットのポケットから鋼鉄の塊を出し、机の主に放り投げた。
画面を戻しながら器用に片手で受け取る。それはあの――三日月形をした7.62ミリの拳――神暮の拳銃、モーゼル・Hscであった。
「……冥土の土産に丁度良いだろう」
「やれやれ……自決にどうぞ、とかもう少しお洒落に言って頂きたいものです」
「知るか」
くくく、と敷島は愉快そうに笑った。そして、徐に部屋の一角を指し示す。
視界の隅で敷島を捕らえながら床を観察する、と、その部分は周りとは僅かに違和感を産んでいた。
フローリングの木目がそこだけほんの僅かにずれているのだ。
視線を戻す。
「あなたの隠家も最早手遅れでしょう。備えあれば憂いなし……全く以って嘘以外の何でもない格言でしたが」
そう言って手元のスイッチを押すと、微かな電子音が部屋の空気を揺らした。
見る見る間に板の隙間が広がって中から頑丈そうなロッカーが出現する。大仰な割に些か間抜けな光景だ。
「まぁ、よしとしましょう。中身はご想像通りかと」
「…………!」
流石に驚いた。最初、敷島の隠家が襲撃を受けた際に、手持ち以外の武装は全て奪取されていた筈だった。
だが、現実に今目の前にあるのは――
「お好きなものをどうぞ。」
説明を受けている間に岸武はロッカーを漁り始めていた。
残された数はもとに比べれば随分少ないが、それでも内容は軍隊並だ。自動小銃から機関銃――果ては自動式の榴弾発射器まで。
「……こいつを貰っていく」
そう言って手に取ったのは、手榴弾を発砲出来る信号銃と連結式弾薬を使用する
米軍の旧式機関銃・M60マシンガンだ。
さながら映画のヒーローのように連結弾薬を袈裟懸けにし、弾丸を装填した信号銃をベルトに挟み込む。
肉厚の背負紐スリングで機銃を左肩に担いで左手にはショットガン。
右手には組み上げた対物ライフルM82A1――理屈からすれば馬鹿げた装備以外の何物でもないだろう。
ふと、ガラスに映った自分、オールバックの金髪を見ながら岸武は言った。
「……サングラス、あるか?」
その一言で何を思ったか理解したらしい。
敷島は心底可笑しそうに身を振るわせた。
「ははは。いや、残念ながら私はあの映画が嫌いでしてね」
「そうだろうな。俺も嫌いだ」
そう言ってにやりとする。
不意に、端末がけたたましい電子音を鳴り響かせた。警告音だ。
上層と下層を分断する隔壁が破られたらしい。LANでつながれた監視カメラにバーナーの火花が散っている。
あの二人がここへ来るには早すぎる。となれば“元・幹部”の連中だ。
想像以上に固く高い城壁だったのだろう。昇ることを諦めてとうとう壊し始めたらしい。
やれやれ、と言って敷島は肩を竦めた。
「本気ですねぇ」
「……そうだろうさ」
徐に向き直ると、敷島は一切の笑いを消して彼を見つめていた。
その何処か遠い瞳は記憶に残る父親を思い起こさせる。
彼が自ら手に掛けたあの父親を。
「……なんだ?」
「最後に一言だけ」
「……時間が無い」
そう言って踵を返そうとする。が、響いた金属音に岸武はその足を止めた。
今からでも、敷島が銃爪を引く前にその顎を撃ち抜くことは出来た。腰に提げたイタリア製の中型銃――M8357(クーガー)は既に射撃可能状態にある。
だが、岸武は敢えてそのまま振り返るに留まった。
メガネの奥にある敷島のそれは、プラチナのフレームよりなお白い。
彼は腕を下ろし沈黙を守ったまま敢えて焦れたように言う。
「早く言え。時間が無い」
不意に敷島は表情を戻し、腕を下ろした。あの作り物のような笑顔。
限りなくへたくそな笑い方で彼は言った。
「あなたは負けません」
そう言って目を細める。
それは自らが手掛けたあの“計画”に対する自信――いや、それよりももっと深い。
――笑っているような、嘲笑っているような、嗤っているような、そんな複雑な視線だった。
始めて敷島の顔を正面から見つめて、岸武は気付いた。
これが、これこそが彼の本当の笑顔なのだと。
「……当然だ」
そう一言。
一言だけを残して彼は部屋を出た。
白い廊下。
恐らくもう戻ることは無いし会うことも無いであろう。
敷島と共に上層部で立て篭もっている直下の部隊は精鋭ではあるが、如何せん数が少なすぎる。
何時の世も戦いは数を揃えた方が制するものだ。大概に於いては。
加えて、敵は勝手知ったる身内の人間どもだ。どんなに敷島が足掻いた所でやがてはこの階層に辿り付くだろう。
だが、だからこそ敷島は彼を送り出した。
彼は“限りなく先を見通す”その目的のためだけに作り出され、この場に立つ。
親を捨て、仲間を捨てたその先にあるものを、この手に掴む為だけに。
2:
1台目は、30分ほど前にパトカーに突っ込まれて大破したのだが、それ以前に調子が最悪だった。
何しろエアコンが効かない――のは良いとしても、アクセルペダルを踏めば黒煙ばかり吹き、挙句ファンが回らずオーバーヒート……と兎に角散々だった。
この気温の中エアコン無しの密室に閉じ込められるのは地獄だ。
肌を直射日光に晒せない京は長袖のワイシャツにジーンズという出立ちなので尚更である。
大破後に調達した2台目はエアコンもエンジンも幸いにして好調だった。
広いフロント・ウインドウから臨む空は底抜けの青い井戸で、外にはやわりとした風が吹いている。
ピクニック日和だ。文字通り“肌を焼く”ような気温さえ考えなければ。
通勤時間帯である割に道はそれほど混雑していなかった。
辺りを見回しても覆面パトロールカーや公安らしき車は見当たらない。
とっくに先の殺人事件は第一報が上がっているだろうに、検問すらないのは不気味とさえ言える。
ともあれ、余計な手間は無いに越したことは無い。
ラジオからとめどなく溢れる音楽を聴きながら、ゆっくりとした流れに合わせてアクセルを踏む。
「ボニー・アンド・クライド、かな」
ハンドルを握る京は徐にそんな事を聞いてきた。
一瞬戸惑ったが、すぐに何の事か理解する。
ダッシュボードの上に乗せた足を下ろしながら、隣の京二はにやりと笑った。
「……“俺達に明日は無い”のか」
「だって、“明日”って“今日”の続きでしょ?」
「中々に良い屁理屈だ」
「そりゃどーも」
丁度目の前で信号が変わり、車をとめる。
むくれたような仕草をする京の頬に軽く唇を押し当てて、京二はまた元のポジションに戻った。
「なんだか嬉しいなぁ」
そんな事をいいながらえへへ、と笑う。
本当に朗らかな、そんな時間と空間だった。
「そりゃよかった」
それでも、2人とも『この時間が何時までも続けばいいのに』とは思わなかった。
人は“一瞬の連続”を“流れ”として捕らえられるからこそ、その瞬間とその時間とその時の空間が大切に思える。
2人はそう信じている。
だから、今は今を大切に生きる――それだけなのだと。
信号が青に変わった。
1つ先にある交差点で右折レーンに入り、進路を変える。
ここを曲がればあとは直線だ。目的地であるビルディングまではもうさほどの距離は無い。
京二は抜いておいた拳銃のスライドを引き、薬室に弾を込めた。起きたままの撃鉄を安全装置で止める。
「……さて、と」
「いよいよ?」
「だな」
不敵に笑う京二。
笑み返しながら何事かを紡ぎかける。だが、その表情は唇と共に不意に凍った。
一瞬後に横向きのGに襲われ、視界が回転する。急ハンドルを切ったのだ。
飛び散ったアスファルトがバックミラーに映り、リア・ウインドウが瞬く間に白く罅割れる。
――対物弾!
爆発系の弾薬でなかったのは幸いと言えた。
もしも炸裂弾や榴弾であれば、2人は既に穴だらけの火達磨だ。
「ち!」
乗用車の鉄板では壁にもなりはしないが、それでも何もしないよりはましだ。
ドアロックを外しておき、座席を倒して相手から見て奥まった位置に移動する。
「――冗談じゃない!」
驚いて止まる車両の間を、京はフェンダーを擦らせサイドミラーを吹き飛ばしながら何とか抜けていく。
と、ハンドルを切る度に左右の車が超音速の弾丸に貫かれ、或いは止まり、或いは爆発していった。
10発にも満たない弾丸が、辺りを火の海へと変えていく。
京は視線をビルの上層へと向けた。
中層よりも僅かに上にあるそこ、窓の内側の黒い影――あれだ。
こちらに向けられたライフルと、窓ガラスに穿たれた穴が彼女の『鷹の目』にはっきりと映る。
だが、それよりも――
「――え?」
「……なんだ?」
信じ難い光景が視界に広がっていた。
どう見ても火災としか思えぬような黒煙が、中間層から狼煙のように上がっている。
防災設備などは絶対の壁を誇った筈のあの組織に、煙が外まで立ち昇るような火災はあり得ない筈だ。
おまけに――閃光手榴弾だろうか――の閃光らしき物まで見える。
見ると、ビルはもうほど近い距離にあった。
この位置だとこちらから相手を見る事も出来ないが、物干し竿と同等の長さをもつ対物ライフルでは相手も射角を取るのが厳しい筈だ。
躊躇わず京はシートベルトを外しながら叫んだ。
「降りよう! ここなら大丈夫――多分!」
無言のまま首を縦に振る。
片手でデイバッグを引き寄せると、京二は勢い良くドアを開けた。
「…… “鷹の目”か」
気圧差に巻き起こされた暴風の中、岸武は1人そう呟いた。
優秀な狙撃手同士が戦う時はスコープ越しに視線がぶつかり合うという。まさにその感触だった。
専ら彼の興味は京二の方に向いていたのだが、どうやらあの赤髪の女――京もまた中々楽しめそうだ。表情に出さずに笑う。
敷島の部屋にある管制システムと無線LANでつながれたPDAを引っ張り出し、階下の状況を呼び出す。
程なく、ヘルメットの上にバイザーのように備え付けられたヘッドアップディスプレイ(HUD)に情報が映し出された。
「…………」
既に半分以上のエリアが、制圧された証である赤い表示に切り替えられている。
許容範囲内の誤差ではあったが、予想よりも少々状況の進展が早い。
新兵ばかりかと思っていたが思いの他練度は高いようだ。或いは手練(てだれ)の指揮官が指揮を執っているのか。
ここに来るまでに食い止めるにはまだ余裕がある。だが余裕があるのならば出来れば最後まで残しておきたい。
――あの2人と遭遇するまで。
PDAを仕舞いうと、いまだ熱をもつ対物ライフルを引っ掴んで、彼は全力で走り始めた。
エレベーターは自家発電によりまだ動いたが、使わずに非常階段を抜ける。わざわざ罠を張るに絶好の場所へ飛び込むのも馬鹿らしい。
50キログラムを越えるであろう装備を背負いながらも、そのスピードは常に一定。通常の人間ではまず有り得ない機動力だ。
岸武は、敷島の構想である“不死者”の一つの到達点である。
京の「鷹の目」で実証された、処術時に人間の能力の限界値を『標準』としてセットする技術――これは言わば、常に“火事場の馬鹿力”が発揮される状態だ。
人間の身体には通常、急激な燃焼活動による肉体の損耗を避ける為にリミッターのようなものが作用している。
肉体が本来持っている力のは自らの意思では出しきれぬようにされている。だが、彼らにとってその歯止めは全くもって必要無い。
全ての細胞は最も活動的なリズム時に固定され、千切れ飛んだ腕すら元の場所に添えて置くだけで傷一つ無い状態にまで再生する。
その上、然るべき設備さえ存在すれば、肉片一つ――或いは脳細胞の一欠片からですら、元の記憶と身体を備えた同一人物として甦ることが出来るのだから。
そして、岸武は京のような一部の限定的な能力解放ではなく、身体機能の殆どに於いてその“リミッター”を解放された人間だ。
――階段を一気に飛び降り、タイル張りの床に亀裂を走らせながらそこから跳び、壁を蹴って疾る。
忍者という言葉のイメージそのままに、瞬く間に階層を下っていく。
この建物は、機密レベルによってエレベーターと防弾扉で区分けされている。敵が引っ掛かっているのはこの扉が設計仕様書よりもオーバースペックで作られていたからだ。
だが、それとてそう持ち堪えられるものではない。物である以上壊すことが出来ない理由は無い。
辿り付く一歩手前で、懐のPDAが警告音を発した。先に映し出されていた扉がまた焼き切られ、突破されたのだ。
岸武はそこで跳ぶのを止め、徐にライフルのセッティングに入った。
この建造物の構造は、研究室を除けば通常のオフィスとさほど変わらない。彼の持つ対物ライフルならばこの程度の壁、紙を貫くも同じだ。
ヘルメットに備え付けておいたHUDのバイザーを降ろし、監視カメラの映像と建物内のマップを合成したデーターを呼び出す。
背景越しに浮かび上がったそれに、丁度突入を始めた敵部隊が映る。
「……丁度良い」
マップ上の位置を確認して、岸武は僅かに笑み零した。
まだ相手はこの階層に侵入してきたばかりだ。既に照準圏内に数名の隊員が入っているが、もう少し待った方が良いだろう。
部隊が入りきるか切らないかの所で、後衛に叩き込む。そうすれば敵は引く事も進む事も難しくなる。
2脚(バイポッド)を立て、使いかけの弾倉を外して全装填のものに入れ替え、スコープの十字を近距離射撃へと微調整する。
透過色で表示されるマップと銃口の向きをすり合わせながら、彼はゆっくりと構えに入った。
「……3、2、1」
引金を引き絞る。と、空気の板が彼の頬を引っ叩いた。
元々室内での使用など考えられていない武器だ。もうもうと煙が立ち込め、咽るようなきな臭さが鼻腔に刺さる。
と、HUDの表示上で敵部隊が踊っているのが分かった。
先頭にいた奴が止まってしまっている。一瞬でも足が竦めば、そこに待つのは死という現実だけ――2発目。
寸分の違い無く“その後にいた奴”を肉片に変える。実際に見る事が出来るわけではないが、相手は“ただの人間”だ。想像はつく。
『……直轄部隊が残っていたのか?』
『班長死亡! 黄2、応答願う!!』
『何だって言う……!』
飛び交う無線の中、無表情に続けて撃ち込んでいく。
足を竦ませた奴――3発目。
呑気に無線交信を続ける奴――4発目。
壁を抜けず――5発目。
引き返しかけた臆病者――6発目。
弾倉が空になった頃には、5名1班の突撃チームはただの物体と化していた。
「……ふ」
集中していた神経を解してディスプレイを一旦切ると、彼はライフルをそのまま下に向けて立ち上がった。
弾倉を交換し装填レバーを引く。と徐に階下の部隊へ向け、引金を引いた。
聴覚を抑えながら、弾倉が空になるまで引金を引き続ける。空になったところで今度は使い掛けの方に交換し、撃つ。再び空になったところで彼はライフルを投げ捨てた。
威嚇に過ぎないが、十分に効果を発揮したようだ。傍受している無線交信に幾分混乱が見られる。
天井からの砲撃という有り得ぬ攻撃を喰らった部隊は、彼の思うままに足止めを喰らってとまどっている様だ。
だが、継続した攻撃がされない以上、長く停滞(とど)まってはいまい。
PDAを再び取り出し、別方向から侵入を図っている最中の部隊を見極めると、硝煙も晴れぬ間に彼は再び走り出した。
そのまま階層を下りつづけ、時に別の階段へと移りながら、彼は着実に敵との間合いを詰めていく。
不意に下層から響き渡ってきたのは、強化ガラスの破砕音と地鳴りのような爆発音だった。
先ず、歩道に乗り上げさせた車を入り口へと向ける。
ドライバーを引き摺り下ろして、ガムテープと針金でその場で拵えた、受付突破用の即席フリーパスだ。
加速は少々足りないかもしれないが45口径で罅を入れておいた強化ガラスを割るには威力十分である筈だ。
「出来た」
言うや否や京がサイド・ブレーキを降ろして転がり出る。と、アクセルペダルを全開位置で固定されたステーションワゴンは後輪から白煙を上げながら受付に向かって突進した。
そのまま京は京二のいる柱と対になる柱へと隠れる。
車が激突して止まったところで、京二は支柱の脇から榴弾発射筒(グレネードランチャー)を腰だめに構え、一気に引金を引いた。
ぱん、という小気味良い破裂音と共に撃たれた弾丸はトランク部分に突き刺さり――くぐもった音と共に爆発した。
爆風が正面のガラスを漏れなく吹き飛ばしていく。水飛沫のような破片が舞い散り、一瞬の間を置いて黒煙が噴き出した。
二人はそのまま突入せず、裏口へと回り込む。先の車は正面に目だけでも引き付けて置くためだけのものだ。
ビルとビルに挟まれた細い路地裏に、鍵が掛けられた業者用通用口のアルミ戸があった。
斜めの角度から覗き込む。と、上手く隠れているようではあったが、人影が見えた。
何人いるのか確認できないのはかなり痛いが、他に出入り口という出入り口が無い以上仕方あるまい。
京二がドアノブに手を掛け、京がバックアップの体勢をとる。
――3、2、1
カウントゼロで一息に開く。
「――!」
刹那の差だ。
短機関銃を構える隊員の唯一剥き出しになっている顔面を京のコマンダーが撃ち抜く。
必殺の一撃を喰らってそいつは山積みにされたダンボール箱の中に倒れ込んだ。
すぐさま京二も突入し、ディバッグのサイドポケットに入れておいた閃光音響手榴弾(スタン・グレネード)を取り出す。
銃声を聞きつけて来たのだろう。数人の足音がこちらに迫って――
「――フリーズ!」
短機関銃を向けられた。が、京の方が一瞬早い。
バックアップが発砲する前に4つの連続した炸裂音が反響を伴って広がった。
が、2人も9ミリ弾の雨に晒される。
「――!」
弾は防弾衣で止まりこそすれ、衝撃は直接身体に伝わる。
脇腹を掠ったらしく、京は一瞬体制を崩した。
だが、がっしりとした腕の感触に支えられ、持ち直す。
「耳を塞げ」
耳元で呟かれた言葉から行動を起こすまで、一瞬の空白。
見れば、京二はピンが外れた手榴弾を投げる体制に入っている。
慌てて銃を腰に戻して耳を塞ぐ京を余所に、カウントギリギリの所で京二はそれを空間の中心となる位置に投げた。
ごう、という凄まじい音と共に、目を焼くような白い閃光が迸る。
同時に左右に散りながら一気に部屋の出口へと走る。光に幻惑された隊員を押し飛ばし、壁に叩き付けながら2人は廊下に抜けた。
角に現れた黒尽くめを銃で殴り倒し、通り過ぎ様に催涙スプレーを吹きかけて置く。
だらしなくもまともに喰らったそいつは身を悶えさせながら倒れ臥した。
用の無くなったバッグからグレネード・ランチャーと残りの榴弾を取り出して投げ捨て、ランチャーの銃身固定具(バレル・ロック)を解除する。
可倒式の銃身を折りながら、徐に京二はエレベーターに掛けより、扉に耳を当てた。
微かに聞こえるのは複数人の足音だ。
「……近い、な」
階段を下りている。音からすればそこそこに近い階層にいるようだ。
榴弾を装填し、ランチャーの安全装置を解除する。
信管は遅延タイプの物だ。発射後数秒経たなければ接触しても爆発しない。
階段の入り口に移動して慎重に距離を測る。
天井は階段に沿って斜めに作られている。上手く跳ね返せば彼らの直前で爆発させる事が出来る筈だ。
「……あと2階分半」
上手く足音を消してはいる。だが、衣擦れの音までは消せない。
京二は限界まで神経を研ぎ澄ましていく。
微かな、本当に微かな衣擦れと、ゴム底の靴が床に体重で押し付けられる音を聞きながら、照準を合わせていく。
「2階」
木製のグリップが嫌な汗に濡れていく。
外せば、榴弾は自分に返ってくるだろう。だが、足音からして、拳銃2丁でどうにかなる人数ではない。
「1階半」
引金に力を込めていく。
彼らも慎重に目視確認(クリアリング)しながら降りてきているのだろう。
歩調が幾分緩やかになり、音が急激に捕らえにくくなる。
こめかみに汗が滲んで髪が嫌な張り付き方を始めた。
「――1!」
コルクを抜くそれを100倍にしたかのような音が、鼓膜を叩いた。
ピンボールのように踊場を飛び回った弾丸は見事に上の階に辿り付き――
「伏せろ!」
橙だいだいの閃光を発し、腹に来る衝撃を生み出した。
両脇の壁に隠れるが爆風が凄まじい。
降り注ぐなにかの破片と、もうもうとする煙を横目で見ながら爆炎が収まるのを待つ。
段々と耳鳴りが収まる。それがほぼ完全に収まったところで、2人は頷きあいながら階段を駆け上がった。
やがて、煙に霞む視界の中に黒い塊が浮き上がる――が、全て倒れ臥しているようだった。
慎重に辺りを見極める――と、京二はあることに気が付いた。
足を止め、いきなりしゃがみ込む京二を京が怪訝そうに見る。
「――どうしたの?」
視界の隅で窺うと、京二は何やら黒服を探っているようだった。
屈んで覗き込む――と、京も“それ”に気が付いた。
「……敷島の部隊じゃない」
在る筈で無いもの。それは“肩章”だ。
敷島には何故かこういった形式的な物に拘る部分がある。
神暮の世話係だったあのメイドもそうだ。敷島は“凡そ一般からは掛け離れたイメージ”を、自らの部下や周りに押し付ける癖がある。自らの護衛兵士に関しても例外ではない。
彼の直轄部隊の戦闘服には肩章が付けられていた――筈なのだが、幾ら他の部分や他の隊員を探ってみても何も縫い付けられている物はない。
「どういうこと?」
細い眉を寄せて京二を見る。
だが、わからない、という風に彼は首を振った。
不意に、上層から伝わってきた微かな揺れが二人を包んだ。
連続した破裂音と、入り乱れる爆発衝撃――何がしかの戦闘が行われていると見ていいだろう。
これらの所属も気にはなるがどちらにせよ障害となることに違いはない。ならば、答えは一つだ
「取り敢えず、先を急ごう」
京は無言のまま肯く。と、2人はまた階段を駆け上がっていった。
3:
背中に当たる冷たい壁が熱った体に心地よい。先から走り通しだったのだ、無理も無い。
丁度いい所で休憩代わりになるような待ち伏せのチャンスが訪れ、岸武は短縮型のショットガンを腰に構えながら迫る足音を待ち構えていた。
階段を死角にフロアの敵を待ち構えるこの構図は、本来ならば背水の陣とも言える位置取りだが、今の段階で下の部隊はあの2人が止めている。傍受無線の混乱振りは凄まじい。
たった2人が十数名からの部隊を混乱に導いている。いや、或いは、2人という少人数だからこそか。
――よくやるものだ。
人差し指で安全装置を解除しながら、岸武は声に出さず呟いた。
正直言って京二の実力は然程の物ではない――岸武はそう判断していた。
再構成能力(リジエネート)以外に持つものが無いのでは人と差はない。
鷹の目と呼ばれる眼力と反射神経を持つ京ならば兎も角、だ。ほぼ全てに於いて常識を超える力を持つ彼の前で何処まで保(も)つのか。
――実の所、彼が父殺しに至った理由はそこだ。
かの父、岸武礼二は「人の世は人によってこそ変える事が出来る」という思想のもとに神暮に傅いた。
そのためには先ず自らが人であらねばならない。だが、息子である彼の考えはこうだ。
『人の社会は最早腐りきった。そして人一人に出来ることなど限られている』
ならば、選ばれし者が選ばれし処置を受けることにより、覆し様の無い能力を手に入れ、愚民たる彼らを導く――。
思想としては傲慢以外の何物でもないかも知れない。だから、人を殺す価値があったのか見極めねばならない。先を生きなければ。
そのためにはまず、今を勝たねばならない……だが、信じた筈のその思想に疑問は常に付きまとった。
“この行為は果たして正しいと思う価値があるものなのか?”
『――目標発見!』
不意に入った無線は電波に乗せられた音声のみならず、空気の振動と重なって彼の耳に届いた。
しまった、と思う間もなく彼の隠れていたコンクリート壁が音速の弾丸で見る間に削り取られていく。
煙のように舞い散る破片の中、岸武は取り落としかけたショットガンを持ち替えて引金を引いた。
「……ち!」
広いとは言え閉鎖空間だ。
短機関銃とは比較にならぬ爆音がフロア一帯を震わせる。
彼は単発弾(スラグ・ショット)の空薬莢(シェル)が5つ落ちると同時に投げ捨て、一旦壁の後へと退いた。
――サーモ・グラスか?
相手から見える位置に隠れた憶えはない。
先の“見えぬ攻撃”に対して、敵も無策のまま立ち向かって来るほどには愚かでは無かったという事だろう。
体温検知機能付きのゴーグルは何もこちらだけの装備ではない。
続けざまに撃たれる9ミリ弾を壁でやり過ごしながらベルトに差された信号銃を抜き、安全ピンを解除する。
引金を引いた右手が発射反動に跳ね上がり切る前にしゃがみ、左踵で機関銃の装填(コッキング)レバーを引く。
立ち上がると同時にそのまま左足で蹴り上げてキャリング・ハンドルを左手で受ける――紅蓮の炎が照り返す頃には、M60型機関銃の安全装置は解除されていた。
吹き飛ぶ肉片がシルエットになって見える。
キャリング・ハンドルを握って腰だめに構えるや否や、岸武は引金を引き絞った。
「……近い!」
京二は使いかけの弾倉を捨て、換えの新品弾倉に入れ換えながらそう叫んだ。
声でばれてしまうということは無い。何しろ耳栓がなければ鼓膜がやられるのではないかと言う爆音の中だ。
突如として響いてきたのは機関銃――或いは自動小銃の発砲音だ。
音が重複していないことから単独の射撃だろうが、その射撃に切れ目が無い。
相当数の敵を相手しているのだろうか。気に掛けている余裕は無いが。
兎も角、駆け上がるのなら今のうちだった。2人は、僅かに顔を見合わせると、一気に階段を上る。
踊場を抜け、手摺を掴んで遠心力を利用して一気に向きを変え――やがて視界が硝煙に包まれた。
あと数歩という場所で射撃音が止まる。
京二は白濁した空気のその向こうに見える黒い影に向け、迷わず叫んだ。
「――止まれ!」
後に見える筈のオフィスは、最早跡形も無いと言っていい状態だろう。
熱されて膨張した鋼鉄が再び収縮する金属音と、転がる夥しい量の空薬莢が射撃の凄まじさを物語っていた。
影はゆらり、と蠢くと、手に抱えていた機銃を投げ捨ててこちらに向き直る。
口を大きく開く階段前のフロアに、がしゃり、という音が響き渡り――その黒い影は嗤った。
「……ようやっとお目見えか」
腕をだらりと下げたまま、無造作に近付いてくる。
凄まじい威圧感だった。
相手はただの1人。それもほぼ丸腰と言える男だ。
なのに引金に掛けた指が硬くなっている。知らず力を込めてしまっていたのだ。
全身が警告を発している。
“こいつは敵だ”と。
「――っおおおおお!」
無理遣りに人差し指を引き切る。
狙いは額だ。眉間と顎上のキル・ゾーン(急所)だけは不死者であろうとも通用する――
明らかに間に合わない。間に合わせない。その筈のタイミングだった。
だが影は俄かに首を傾けた姿勢のまま悠然と立ち尽くしている。
ワンテンポ遅れて、ヘルメットの顎紐がHUDの重量に耐え切れず、ぶつり、と音を立てて切れた。
ごと、と塊が落ちる音が収まると、場は再び静寂に包まれる。
影は太腿に差した2丁の拳銃を抜くでもなく、ただ両手を下げたままだ。
硝煙が晴れ始め、ようやっとその顔がはっきりと姿を現す。
オールバックに近く撫で付けられた短めの金髪と、ターコイズ・ブルーの色をした鋭い両眼。
彫りが深い貌。ハーフか或いは、と言った顔立ちだ。凡そ東洋系の顔立ちではない。
他の奴等とは明らかに型を異とするジャケットと、肩に付けられた肩章。
京二の影に隠れる形となっていた京はその顔を見るなり頬を強張らせた。
――岸武嘉秀!
徐に煙草を吸い始めた岸武に向けて京二は彫像のように銃を向ける。
岸武は口元を覆うようにしてゆったりと吹かし、目で嗤った。
僅かに頬を上げ、眉間に皺を寄せる。
その表情が何かと重なっていく。目の前の男は、無造作に灰を落とすと改めて京二に向き直った。
「……久し振りだな」
煙を一息に肺から追い出して呟くように言う。
こちらに向けられているようでいて、独白であるかのような、そんな響きだった。
「……?」
「……どうしてここまで来られたのか、という質問をしたとして」
半分ほどまで灰になったそれを弾き飛ばし、靴裏で揉み消す。
岸武は小莫迦にしているかのようなその視線を改め、鋭く細めるとこう続けた。
「お前は知らない。無知が過ぎる」
「なに?」
「どれ程思われているのか。どれ程思われていたか……そして、この俺がどれ程殺したいと思っているのか」
「!!」
拳銃を抜く。だが、まだその腕は京二を捉えない。
重力に抗う事無く垂れ下がったままだ。
全く何を言われているのか分からない。俺はこいつに遭ったことが――?
「……“無知は罪だ”と。そう言ったのは神暮だったな。そうか――」
京は唇を噛み締め、走りこむ。
全てがまるで時から取り残されたように歪んでいく――
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