なんの変哲も無い、それは普通の朝だった。
 「うう〜…なんだ、もう朝か?寝足りねえなあ…」
 雀のさえずる声に顔をしかめるガルド。
 どうやら、二日酔いらしい。
 昨日、ミッションが終わった後、一杯やって帰ったからだ。
 「ったく…」
 誰にともなく毒づいて、彼はベッドから抜け出した。
 程よく散らかった部屋。男一人の部屋など、こんなものだろう。
 彼やユーミルの住んでいるこのマンションはレイヴン、またはその関係者(オペレーターやメカニックなど)の専用だ。
 彼の隣の部屋がユーミルの部屋で、その隣は2人の専属メカニック、リットの部屋だった。
 リッドは、まだ子供だが整備の腕は立ち、2人は絶大な信頼を寄せている。
 『メールが来ています』
 部屋のコンピューターが抑揚の無い声でそう言った。
 「……誰だ?こんな朝っぱらから…」
 ガルドはぶつぶつ言いながらメールを確認する…
 「アルマゲイツ社副社長…ビリー・フェリックス…だと?」
 無言でそのメールに目を通す、ガルド。
 彼の目は既に、二日酔いの中年オヤジではなく、ベテランのレイブンの目に戻っていた。
 「とにかく、ユーミルの奴に…」
 そこまで言いかけて、気付く。
 「そういや…出かけてるんだったな…」


 第2話「孤児院」
 


 「な、姉ちゃん。久しぶりだよな」
 「そ〜よね〜!最近は何か知らないけど忙しかったし…やってられないよ、全く。まあ何はともあれ、あそこに行くのも久々だね」
 ユーミルとリットの二人は、とある孤児院に行く所だった。
 ユーミルは6歳の時からレイヴンになる16歳まで、ずっとそこで過ごしたのだ。
 そもそも、ユーミルがレイヴンを志した理由は、この孤児院の為であった。
 今のご時世に、孤児院を経営するのは大変な事だ。
 10年間孤児院で過ごし、たくさんの孤児達を見てきたユーミルは、やがて自分が大金を稼ぎ、この孤児院を大きくしてたくさんの孤児達を世話できるようにしようと思うようになったのである。
 手っ取り早く大金を稼ぐ手段としてユーミルが思いついたのがレイヴンになる事だった。
 複雑な経緯を経て高性能ACインフィニティアシリーズを手に入れる事も出来た。
 素質があったのかは謎だが、彼女はあっという間にそのパイロット能力を開花させて行った。
 そして16歳の時、彼女はレイヴンとしてこの孤児院を後にした。
 その時彼女について行ったのが、特にユーミルに懐き彼女を姉のように慕っていたリットだった。
 小さい頃から機械いじりが好きな少年で、たまに面白いものを作っては周りの者を驚愕させる事があった。
 ユーミルがレイヴンになると聞いたリットは、ユーミルについて行くためにACの整備を独学で学んだのである。
 そんな二人にとって、孤児院はまさに「帰るべき家」のような場所であった。
 「それにしても、なんでガルドって孤児院に行きたがらないのかな…」
 ユーミルがふと呟く。
 前に何度か一緒に行こうとユーミルが誘ったのだが、その度に何故かガルドは慌てて断る為、二人はガルドを孤児院に誘うのは止めていた。
 「さあ?そんなの、どうでもいいじゃん」
 リットは興味が無いようだ。
 「子供が嫌い…なのかな?」
 「さあ…その割には、姉ちゃんには甘いじゃん」
 いたずらっ子の顔で、リット。
 ユーミルは一瞬考え込み…
 「…それって、わたしが子供って事!?」
 「さあね〜!」
 「な、なによ!わたしのどこが子供なの!?」
 逃げ出すリットを、腕をぶんぶん振りながら追いかけるユーミル。
 ガルドがいれば、「そういうとこだろうよ」と、言ったに違いない。



 「あ、ユーミルお姉ちゃんだ!みんな〜、ユーミルお姉ちゃんが来たよ〜!」
 門のところにいた女の子が2人の姿を見つけ、二人の方に駆け寄ってくる。
 その女の子の声を聞いて、一斉に子供たちが駆け出した。
 ユーミルは、それほどここの孤児達に慕われてる存在だった。
 この孤児院に多額の寄付をしているからとか、そういうのではない。
 彼女はここの孤児達にとって、「姉」と同じ存在なのだ。
 「みんな、元気だった?なかなか来れなくて、ごめんね〜」
 あっという間に子供たちに囲まれるユーミル。ミッション中には見ることの出来ない、彼女の笑顔だった。
 「よく来てくれましたね、ユーミル…」
 その声に、ユーミルが視線を移す。
 声の主は、ここの孤児院をたった一人で経営している女性―――メリアだった。
 親のいないユーミルの、母代わりといってもいい人物である。
 現に彼女は、孤児達にお母さんと呼ばれている。
 「ただいま…メリアさん」
 ユーミルだけは、なぜか一度も彼女を母と呼んだことは無かった。
 理由は、分からなかった。
 子供達は、さっとそれぞれが元いた場所に戻っていく。
 孤児院へ来てから、まず1時間くらい二人が話をするのを知っているからだ。
 リットも彼らと一緒に、二人から離れていく。
 「ユーミルお姉ちゃん、また後でね!」
 そう言いながら去っていく子供たちに手を振りながら、ユーミルとメリアは歩き出した。
 孤児院の建物内はユーミルの資金援助のおかげでいくらか綺麗になっているが、その前はぼろぼろで、この孤児院の財政状態を一目で判別できるほどだったと言う。
 二人はメリアの部屋にやってきた。
 慎ましやかな、必要最低限のものしかないこじんまりとした部屋である。
 その部屋の中で、二人は向かい合って座っていた。
 「50000COM、振り込んどいたから…」
 ユーミルがそう言うと、メリアは本当にすまなそうな顔をする。
 「いつもすまないね…あなたには、本当に苦労をさせてしまって…」
 「この孤児院が無かったら、今のわたしは無かったんだもん。この位当然当然」
 「つらくなったら、いつだってやめてもいいんだよ、ユーミル」
 メリアも、レイブンがどういう仕事をしているかは分かっていた。
 つまり―――ユーミルが、人を殺していると言う事も、理解していた。
 だからメリアは、ユーミルに会う度にそう口にする。
 「つらくなったら、いつでもやめていい」と。
 彼女に頼らなければこの孤児院は潰れてしまうと分かっていてもだ。
 ユーミルもその事は分かっているから、笑って首を横に振って見せる。
 いつもの事だ。
 「せめてここにいる時だけでも、レイブンのユーミルではなく、みんなのお姉ちゃんのユーミルでいてちょうだい」
 だからメリアは、そう言う。
 それに対しユーミルが、やはり笑顔で首を縦に振る。
 これも、いつもの事だった。


 笑顔の子供たちに囲まれるユーミル―――
 子供達は、彼女がどういう仕事をしているかなど知らない。
 知る必要も、無かった。
 (あの子はあの子の幸せを掴まなきゃならない…そうは思うのだけど…)
 それを遠くから見守るメリアは、そう思っていた。



 わずかな安息の時間は、すぐに過ぎ去っていった。
 ユーミルは再び、子供たちに慕われる「ユーミルお姉ちゃん」ではなく、恐るべき 凄腕レイブン「蒼のユーミル」に戻るのだ。
 「さて…行こっか、リット」
 「オッケー、姉ちゃん」
 そして、彼女を待ち受ける過酷な運命―――
 その事を、今はまだ、誰も知らない。